2014.12.28-2015.1.1正月山行(上ホロ周辺)
参加者:石井、武田、渡邊あ、富樫、大城、下條
12/28 上ホロ八手岩左(石井、武田、渡邊あ) 8:00駐車場-9:45砂防ダム付近テント発-11:45八手取り付き-14:30 2P終了点から懸垂下降-16:00安政火口-17:00テント着
12/29 上ホロ中央クロアール(石井、武田、渡邊あ、下條) 7:30テント発-9:00中央尾根取り付き、スキーデポ-10:30中央クロアール取り付き-15:00山頂、中央クロアール懸垂下降-18:00尾根取り付きスキー回収-19:00テント着
12/30 上ホロ化け物岩右、左(石井、富樫、武田、渡邊あ、大城) 7:30テント発-9:30化け物岩取り付き-14:00テント着-14:30凌雲閣-17:00テント着
12/31 三段山(石井、富樫、武田、渡邊あ、大城) 8:00テント発、車で白金温泉へ移動-9:00白金温泉発-12:30白金温泉-15:30テント着
1/1 上ホロ化け物岩登攀倶楽部ルート(石井、富樫、武田、渡邊あ) 9:00テント撤収、駐車場へ荷物を運搬-9:45砂防ダム付近テン場跡-11:20化け物岩取り付き-14:50懸垂下降終了-16:00駐車場
渡邊さんが誕生日ケーキを用意してくれていました。
1P終了点から懸垂下降
石井さんのリード 富樫さん渡邊さん 石井さん、冨樫さんしか登れませんでした。
コメント: 当初、オプタテシケ山での正月山行を計画したが、あまりにも雪が少ないので、 参加しやすい上ホロ周辺に変更して正月山行を計画。 予定では八ツ手岩、正面壁、化け物岩での登攀と三段山でのスキーで、ほぼ計画どおりに消化できた。 反省点は29日の上ホロ:中央クロアールの帰りが遅くなり、後から合流した富樫さんに 下山が遅れていることを連絡できなかったため心配を掛けてしまった。 今回、登攀中もそうだが、通信手段を構築すべきだとつくづく感じた。昨年の初冬 期訓練ではアマ無線で各班の状況を連絡し合い、状況把握できていた。しかし、今回は 後から入山して来る組もあったが、連絡方法を明確にしていなかった点がある。また、携帯 電話は圏外、電池消耗等があり、今後はアマ無線等で連絡ができるようにと感じました。 参加者の皆様、下界で心配していただいた皆様、お世話になりました。 石井 石井さんがカミホロ4泊5日間のお正月山行を計画したとき、自分には縁遠い話だと飛び交う山行計画を羨ましい気持ちで遠巻きに聞いていました。その後、武田さんの「冬山は天気が悪くて五日間のうち、何日かはテントで停滞するから大丈夫」という甘い囁きにより気付いたら全日参加することにしていました。(武田さんが天気が悪いと燃える人だとはその時はまだ知らなかった…)
初日28日、テント設営後、石井さん武田さんと3人で八つ手岩ノーマル左ルートへ。吹雪&ただ歩くだけなのに二人との体力差についていけず、これから残り四日間ついていけるだろか、と精神的にすごく疲れました。でも八つ手岩の登攀は楽しかったです。
五日間の中でも、一番思い出深いのは29日カミホロ中央クロアール。下條さんも参加し、朝は天気も良かったのが、取り付き辺りからだんだん風と雪が強くなり、上はもういいから下山したいと思っていました。4P目で10回くらい落ち、どうしても登れず諦めて「ここで待ってます」と言ったとき、武田さんが諦めず下からアックスで踏み台を作ってくれたり、たくさんサポートしてくれてなんとか稜線へ。全員で山頂を踏んだのが15時。そこから石井さんにボルトをたくさん打ってもらって懸垂下降で取りつきに戻ったのが17時。「手の感覚がない!!」とルンゼからの吹き上げられる爆風に叩かれながら、ボルトを打ち付ける石井さんの姿をただ私は真横で見ていました。石井さんの負担が大きすぎ申し訳なく、これは五日間の中で最も頭に焼き付いているシーンです。
下條さんと武田さんと私で冷えていく体を叩き合い、お互いを励まし温め合いました。これまでの私の山行の中では一番過酷で、これは「地獄絵図」だと思っていました。それでも武田さんはあの状況で石井さんをフォローし、下條さんはその武田さんをフォローし、私はこれ以上の迷惑をかけないようただ黙って見ているだけでした。自分のことしか考えていない役立たずの自分が情けなく、辛く、ただただ無事に帰りたいと願っていました。ヘッドランプの明かりを頼りに下山し、疲労困憊でテントに着いたのが19時半。無事に生還できて下條さんと抱き合い、お互いの悲惨な状態を笑い合いました。テントで待っていてくれた富樫さんには本当にご心配おかけしました。(石井さんは全然余裕だったそうですが…)
30日から大城さんも参加し、化物岩の左右を1ピッチずつ登り、早めに下山。テントに戻り、宴会。前日との落差に調子に乗り、炊事類は大城さんに任せ、存分に呑ませてもらいました。
31日は起きると酷い二日酔いで、「とりあえず全日参加」の意地だけでビーコンを装着したとき、この状態でも行こうとする自分をはじめて褒めようと思いました。自分で自分の首を絞めていることを呪い、揺れる脳みそに出来るだけショックを与えないよう、へっぴり腰のボーゲンで滑り下り、登り返しはせず温泉へ避難。この日もなんだかんだで結局呑んでしまいました。
年が明けて1月1日快晴無風のカミホロ。ホコ岩が光っていてこの四日間の頑張りのご褒美のような天気でした。これまで2踏しかしていない「登攀クラブルート」から化物岩に登ると張り切る石井さんに着いていきましたが、結局、石井さんと富樫さんが登り、私と武田さんは登れず途中で下してもらいました。
無事に五日目を迎え、立派なアルパインクライマー気取りになってた自分に、先輩たちから喝を入れられたような気がしました。登れた二人は楽しそうでしたが、下から見上げていた武田さんと私は新年早々、幸先悪いと苦笑い。
私は気持ちが弱く、この4泊5日山籠もりを乗り越えたら、自分の中に何か変化があるかもしれないと期待して参加させてもらいましたが、「カミホロの天気は悪いのが普通」、「冬山でも停滞はない」というのを知ったくらいで、残念ながら他は何も変わっていません。ただ、いつも思うことですが、先輩たちの現場でのあらゆる姿勢(登攀、諦めない・怖がらない攻めの強い気持ち、ルート判断、手早いロープ処理や準備、仲間を労わる気持ち)をしっかり見留めて、自分に反映させていくことが、少しずつ強くなる要素になっていくのかな、と改めて感じました。
この五日間は本当にあっという間でした。毎日登ることだけ考えて、夜は宴会をして、狭いテントで眠る。毎日大いに登り、毎晩大いに呑みました。日数が減っていくと、もう終わってしまうんだ…と下山したくなくて、テントを畳んだときは、「家がなくなった」ととても淋しくなりました。
大きなカミホロとAMCの皆様に感謝します。ご心配おかけした皆様、申し訳ありませんでした。
渡邉あ
石井さん企画による上ホロ周辺正月山行に参加しました。 冬期研修でテン場とした砂防ダム付近にテントを張り、上ホロの登攀と三段山でスキーを楽しんできました。 全日程参加3名と途中参加3名の総勢6名での大人数の山行となりました。
山で5日も過ごすのは初めてでしたが、三段山も含めて今まで行ったことのないルートをいろいろ行けてとても楽しく過ごせました。 武田