上高地-槍ヶ岳-北穂高岳ー穂高岳山荘-上高地 (縦走)2017/8/16-19

谷岡(単独) 現地で追加1名

コースタイム 8/16 上高地12:50-16:45槍沢ロッジ(泊) 8/17 5:45槍沢ロッジ-12:00槍ヶ岳山頂-16:45南岳小屋(泊) 8/18 7:00南岳小屋-12:40北穂高小屋-18:00涸沢岳直下コル(ビパーク) 8/19 7:00?涸沢岳直下コル-8:00穂高岳山荘着-17:00上高地

今回の北アルプスの縦走で救助要請を行う大失態となり、反省の意味を込め記載します。

長い文章になりますが関心のある方はご一読下さい。

今年も北アルプス縦走を計画し、過去歩いた槍ヶ岳―北穂高に加え今まで未踏破だった北穂高―奥穂高上高地のルートを含めたコースを計画した。 (ちなみにこの行程は某旅行会社のビギナー向けの日程のパクリである。)

初日、上高地→槍沢ロッジに移動し宿泊 翌日、二度目の槍ヶ岳を経由して宿南岳小屋に宿泊。翌日は二度目の大キレット越えと北穂高小屋→穂高岳山荘の難コースを歩く予定であった。

槍ヶ岳の山小屋で同じくキレットから穂高岳山荘を目指す40代の小柄なKさんという女性と知り合い、行先が一緒ということで同行する事となる。 Kさんは会社の同僚(女性)が槍ヶ岳穂高岳山荘を縦走し、自分も挑戦したくなり、 半年前からマラソンボルダリングジム通い、丹沢系の山を登り、山道をほぼコースタイムで歩ける実力をつけ、更に同僚よりコース攻略のアドバイスを受け、今回縦走に挑戦するとの事である。

当日朝、南岳小屋に夕方入り、翌日の天候をチェック、雨のち晴れの天候でどうした物か悩ましい状況であった。

偶然居合わせた地元ガイドの方と情報交換をし、午前中はガスで微風なので60-70代女性を2名連れガイドさん達一行は行けると判断、穂高岳山荘まで行くと言う。 距離は約5km コースタイムとしては南岳小屋-北穂高小屋(大キレット)までが3:30、北穂高小屋-穂高岳山荘は2:30である。 ガイド組は6:00南岳小屋を出発、少し遅れて出発しようとしたが、6:30頃には雨が降りはじめ様子見、7:00前にはガスとなり、7:00に南岳小屋を出発、彼女は初、私自身は2度目の大キレット超えに挑んだ。南岳から岩場、鎖、梯子を駆使し稜線まで下降、長谷川ピーク、飛騨泣きと名所を超える。朝のクライミングの効果もあり、前回よりも岩場で体がスムーズに動く、クライミング的な難易度は決して高くなく、手元は殆どガバ、難所は鎖や鉄の杭が撃ち込まれており、ある程度の安全

性は確保されている。岩稜を「○」のマークや矢印を探しながら進んでいくとガスの中から次々と岩壁が現れ天然のジャングルジムで遊んでいる様で非常に楽しい。しかし、左右は切り立った岩場で滑落した場合命の保証はなく、油断大敵である。 彼女は小柄でリーチ的な部分では苦労をするが、ガイド組の女性たちとほぼ同じ体系で無理なく行けるのではないかと判断した。 そもそも彼女と同行しようとした理由の一つに万が一自分自身が滑落した場合、場所などの特定、指示などのメリットがあると思われたからである。 地元ガイドの方のアドバイスでとにかくゆっくりの言葉通りにKさんをこまめにフォローしつつゆっくりと大キレットを歩き終えたがコースタイムは大幅なオーバーの5時間であった。

さて、北穂高小屋→穂高岳山荘のルートはどうするかが悩ましい判断であった。 時間はギリギリ行ける範囲、天候を再度ネットでチェックすると回復傾向で夕方から明日の朝までの穂高岳の天候の評価は「A」でその日の最低気温は9℃ 風は7mの予想で Kさんに体調を確認すると体力的にはOKという事であった。 めったに来れないルート、自身としても初のコースで大変楽しみにしており、気持ちは既に次のルートに向いていた。 天候の良さが自分としての決め手となり進むことにしたが、この判断が大失敗であった。

ルート自体は大キレットより若干やさしいとの評価であったが、実際は涸沢への分岐から先は岩山と何個も超えるキレット同様の難所であった。 穂高岳山荘への初のルート、しかし、1時間経過したあたりからKさんのペースが上がらなくなった。ちょっとした難所で弱音を吐くようになりフォローする。16:00には山荘へ、いや最悪17:00には山荘に着く予定であったが無理な状況、最悪なことに天候は崩れ、雨も降りだし風も吹き始め天気予報は見事に外れた。 雨風の中、なんとか涸沢岳直下のコルと思われる付近に到着し、さあ、最後の登りと言うときに涸沢岳の巨大な岩壁を見あげたKさんの表情はこわばり。「もう無理です」と訴え始めた。ここを超えると山荘だからと励ますが、もう彼女の心は折れていた。 更に彼女を観察すると体は小刻み震え、唇は紫色チアノーゼ、低体温症の初期症状を呈していた。 気温は10℃強でこの症状を引き起こした原因は通常の山歩きと異なり岩場を歩いた影響であった。後で確認したことであるが、岩稜歩きは上半身、つまり手を使う動きが多い、ザックの腰のベルトでレインウエアは固定されているが、上半身の多くの動きはレインウエア上半身をどんどん巻き上げることになり、腰の部分から雨水が浸入、その後風を受けることで体温が急速に奪われたという。 また、私も自分とKさんとの体力差も考慮せず後半はペースを上げたため休憩、水分補給も不十分であった。

Kさんの状況をみて「まずい、彼女の保温をしなければ」と判断しザックからツエルトを取り出した。 山道を見渡すと先は岩壁、後ろは岩の路、時間が無い中で足元の唯一2m×1.5mの稜線のスペースだけがツエルトが張れそうな場所であった。やや強い風の中、ツエルトを展開、一度風でツエルトが飛ばさせそうになる。今回の山行は雨が降れば撤退と決めていたのでツエルトは本当にお守り程度のつもりでザックに忍ばせていたがまさか使用することになるとは夢にも思わなかった。 風がやや強いのでザックを重り代わりにツエルトの一部を風上側に固定、Kさんをツエルトの中に誘導、トレッキングポールで高さを各保、手で持っていないとすぐにバランスを崩してしまう状況であるが、とりあえず雨、風はしのげる体制は確保できた。 Kさんは下半身が濡れている状態、手の震えの影響で自身のザックから着替えを出せない状況だったので、自分のサックからダウンを取り出し、Kさんに着せ、その上にレインウエアを着させ更にエマージェンシーシートを体に羽織った。彼女はまだ小刻みに震えており、低体温礁初期状態が続き症状の回復か、進行か、どちらになるのか見守った。

しばらくして彼女から「大丈夫です」との発言があった。 「戻ってきた(元気な方へ)」と思われた。 手を取ると自分より暖かく震えは収まっていた。後で聞いた話では、シートは即効性で温かみを感じ、その後ダウンが体を温めてくれたという。

風がやや強く早く着替えをさせたかったが、何かあれば風でツエルトが飛ばされかねない。外に出ても見ても岩場でありロープでツエルトの固定が難しい状況でとりあえず、数個の石を拾いツエルト末端を補強、ツエルト内でトレキイングポールを右手で持ち高さを維持、風がある程度おさまるまで中で待機することした。(結局、明方まで風はおさまらず、、、) 時間は18:00頃になっていたと思う。この落ち着いた時点で救助の電話をすればよかったのかもしれない。しかし、二人にはその発想が出て来ずビパークを決めた。 幸いヘッドライトは新調したものだったので、ツエルト内の明るさは翌朝まで確保でき暗闇による不安は避けられた。 Kさんに水分、何か食べ物を口に含むように促すが、受け付ける状態ではなかったか、お菓子を少し無理に食べさせた。私は気が付いていなかったが、低体温症に合わせ脱水も彼女をむしばんでいた。 「明日 朝まで頑張るよ」と彼女を励まし覚悟を決めた。

一応落ち着き、さて、自分自身はどうであろうか確認した。ダウンは彼女に貸し、夜寒さが深々と迫ってくるのではないか、外気温は10℃前後、上はアンダーシャツ、ロングTシャツ、薄いトレーナーを追加で羽織、レインウエア、下は下着、スポーツタイツ、短パンレインウエアで靴の中に雨は侵入し、腰のあたりは少し濡れていた。着替え用の衣類の袋を座布団替りにした体制でエマージェンシーシートに二人で入る。。旭川体質が幸いしたのか、たまにブルっとする程度で翌朝までこの装備で耐えることができた。やはりツエルトで雨。風を防ぐ効果が絶大であった。 ここでの反省点は、常備していなければならないテルモスや予備の食事を岩場歩きで軽装にしたい、短い行程、山小屋が近くにあり、夏、ということでなめて携帯していなかったことである。彼女に何が欲しい?と聞くとカイロと言われたが、当然携帯していなかった。

18:00から翌朝5:00まで何とかツエルト内で無事過ごすことができた。 睡眠をとれたかどうかは定かでない。

雨は夜には上がり、風が弱くなり、明るくなってきたので行動を開始しようとした。 窮屈な体制で長時間いたため立ち上がっても足が思うよう動かなかったが、10分位で回復、 彼女はどうであろうか、見守るが自立歩行ができない状況であり、自分一人ではどうすることもできない。ここで救助を要請する事を決めた。

自身の携帯電話はauであるが圏外、会社の携帯電話ドコモで通信可であった。 私用の電話は緊急時以外基本的には×であるが、今、まさにその状況であり、ネットで調べると長野県警の遭難関連部署の電話番号があり、電話してみると、110番の方が良いとのアドバイスであった。 110番に電話をかけなおす。長野県側の警察とつながり状況、今の想定される場所を伝える 岐阜県警に電話を回され、岐阜県警から高山署にさらに電話が回され、救助隊員を送るという言葉を頂いた。 場所の確認であるが、携帯の地図や山レコのアプリを開けば簡単に確認できるのに、自身もあせっていたのだろう、夏山のルート上ということもあり発想がなかった。

30~40分後、救助隊員4名が来た。(穂高岳山荘スタッフ)自身は何も問題ないことを伝え、彼女のケアのみ依頼した。彼女には最初テルモスから薄めた暖かいカルピスが提供されていた。この時点で彼女のことは彼らに任せ状況を見守ることにした。

隊員は彼女にもう一枚ダウンを羽織らせ、難者用を背負う装備が装着されはじめた。 隊員全員ハーネスを装着、一人の隊員が彼女の荷物を持ち、残りの隊員で彼女を交互に運搬するようである。 お連れの人は先に山荘に入っていて下さいとの指示であったので、鎖場を登り山荘に向かった。途中別の隊員が50mロープを垂らし登ってくる隊員の補助をするようであった。

稜線に上がりしばらくすると涸沢岳山頂の看板が見えた。そこから山荘まで約20分、ビパーク現場から本当40分強で来れるわずかな距離であった。 夕方の時点でやはり救助要請すれば良かったか、、と後悔した。

山荘で朝食をとっていると隊員の方が戻られ彼女は既に診察中とのことであった。 穂高岳山荘には岐阜大学の医師、看護師が常駐しており、医師に状況を伺うと問題ないとの回答でホッとした。彼女は山荘の一室に搬送され療養中とのことである。

部屋に行くと山荘のスタッフが石油ファンヒーターでガンガン部屋を暖め、布団には電気毛布がセットされており手慣れた対応であった、彼女には温められたポカリスエットがあてがわれておりすでに半分を飲み干していた。 医療処置は体温測定、酸素飽和度と意識レバルの確認等であったらしい。 ここでは、意識障害があるようであればヘリで上高地の診療所に運搬されるシステムの様であるが、今回そのレベルには達していなかったようである。 また、ビパーク場所から距離は1km位だっただろうか、山荘まで3名の隊員が交代で彼女を運搬、搬送中隊員より震えがあるのはまだ大丈夫な証拠と精神的なケアもなされていた。

その後岐阜県警より山荘に電話が入り、電話で事情聴取を受けた。内容は住所、氏名、生年月日、山行の行程、登山届の提出の有無、幸い私は上高地バスターミナルで彼女はWebで長野県警に提出しておりお咎めはなかった。

時間は朝9時を回り一人の下山なら許可できないが、お連れ(私)が同伴なら下山可という指示であったので、付き添い9:30山荘を出発、涸沢経由で上高地に下山した。

今回、思い起こせば、大キレットを大幅に時間オーバーで走破した時点で彼女の実力は低く、次のルートに向かうことは「×」であり、基本である15:00までには山荘に入る計画を立てれなければ進むべきではなかった。彼女よりは登山経験者である私の痛恨の判断ミスであった。 普通の山歩きと難所(岩場)の違い、山の天気は変わりやすいを改めて経験した。 ツエルトを携帯していて本当によかった。わずか数百グラムの重要性を確認できた。

今後、北アルプス稜線に入られる方の参考になればと思う。         谷岡

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